探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-く-


クイーン,エラリー(Ellery_Queen)

1905年(明38)にアメリカのブルックリンに生まれた二人の従兄弟マンフレッド・リー(本名マンフォード・レボフスキー)とフレデリック・ダネイ(本名ダニエル・ネイサン)の合同筆名。なお、ダネイが1953年(昭28)に単独で自伝的小説「ゴールデンサマー」を発表した際には、ダニエル・ネイサン名義を用いている。
1929年に本名を隠して刊行された「ローマ帽子の秘密」は最初、雑誌「マクルーア」の懸賞探偵小説募集に投稿し、入選が内定していたのだが、雑誌社の破産に伴う、経営者交代により、入選はイザベル・B・マイヤーズの「殺人者はまだ来ない」(1930(昭5))に変更された。
1931年(昭4)、「オランダ靴の謎」を刊行。
1932年(昭7)、「和蘭陀靴の秘密」として、伴大矩により「探偵小説」で訳される。
1932年(昭7)、バーナビー・ロス名義で「Xの悲劇」刊行。なお、ロスがクイーンであったことが明かされたのは、1941年(昭16)になってからのことである。
1932年(昭7)、「エジプト十字架の謎」を刊行。
創作活動期は三期にわけられ、1929年(昭4)-1935年(昭10)までの躍進期がパズル的な作風の目立つ「国名シリーズ」と「バーナビー・ロス名義の悲劇四部作」。この時期の「Yの悲劇」(1933(昭8))は、ヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」を意識して執筆されたものだが、探偵小説の最高傑作とたたえられている。日本へは井上良夫によって1937年(昭12)に紹介されたが、バーナビー・ロス名義だったため、戦後、クイーンと同一人物だというニュースが伝えられると大騒ぎになった。
1936年(昭11)-1939(昭14)年の模索期。1940年(昭15)以降-1958年(昭33)の円熟期で、「架空の町ライツヴィルシリーズ」を書いた。1960年(昭35)以降は最終期として位置付けられ、この時期には代作も多い。
1940年(昭15)、中篇「神の灯火」を発表。この作品を収めた作品集「エラリー・クイーンの新冒険」のペイパーバックは1945年(昭20)に百万部以上を売上げ、記念賞を得る。探偵小説で百万部を売り上げたのは、それまではハメットだけだった。
1942年(昭17)、ライツヴィルシリーズ一作目の「災厄の町」を刊行。
1943年(昭18)、「靴に棲む老婆」を発表。
1945年(昭20)、「フォックス家の殺人」を発表。
1933年(昭8)に雑誌「ミステリ・リーグ」を、1941年(昭16)に雑誌「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」を創刊。
1941年(昭16)の「101年の傑作集」や1951年(昭26)の「クイーンの定員」など、ダネイの犯罪小説に関する世界的な収集を元に、短編探偵小説をテーマにした書誌的な業績も多い。
1948年(昭23)、アメリカ探偵作家クラブ短編賞を受賞。
1955年(昭30)、過去の業績により、第一回江戸川乱歩賞の候補に挙げられる。
1961年(昭8)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞。
1963年(昭38)に刊行された「盤面の敵」はスタージョンの代作であり、1964年(昭和39)の「第八の日」、1965年(昭40)の「三角形の第四辺」、1968年(昭43)の「真鍮の家」は1962年(昭37)に「ラホーア兵営事件」でアメリカ探偵作家クラブ短編賞を受賞したアヴラム・デヴィッドスンの代作である。
1971年(昭46)、マンフレッド・リー、心臓発作のため死去。
1979年(昭54)、「第八の日」がフランス推理小説大賞外国部門賞を受賞。
1982年(昭57)、フレデリック・ダネイ死去。


九鬼紫郎(くき・しろう)

本名森本澹。1910年(明43)、横浜市生まれ。関東学院中退。別名九鬼澹、三木紫郎、三上紫郎、霧島四郎、石光琴作、谺乃翔。
1929年(昭4)、甲賀三郎に師事し、「探偵小説全集」の編集に従事。
1931年(昭6)、九鬼澹(たん)名義で、「現場不在証明」を「探偵」に発表。
1935年(昭10)、「ぷろふいる」の編集に携わる。
1947年(昭22)、「小説」の編集に携わる。
1948年(昭23)に九鬼澹(たん)名義で「ミステリイ」に発表した「暗号海を渡る」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1949年版」に収録される。
1948年(昭23)、「仮面」の編集に携わる。
1956年(昭31)、九鬼紫郎名義で「心霊は乱れ飛ぶ」を発表。
ほかに小栗虫太郎の代作をおこなったこともある。
1997年(平9)、死去。

幻影城掲載誌:5/7/18/20/33/34/


日下圭介(くさか・けいすけ)

本名戸羽真一。1940年(昭15)、和歌山県海南市生まれ。早稲田大学商学部卒。
1975年(昭50)、「蝶たちは今…」で第21回江戸川乱歩賞受賞。
1977年(昭52)に「小説現代」に発表した「蟻と手まり」が1978年(昭53)に第31回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1978年版」に収録される。
1978年(昭53)に「オール讀物」に発表した「闇の奢り」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1979年版」に収録される。
1980年(昭55)に「オール讀物」に発表した「緋色の記憶」が第33回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1980年(昭55)に「別冊小説宝石」に発表した「真っ赤な誕生祝い」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1980年(昭55)、「小説現代」に発表した「紅皿欠皿」が1981年(昭56)に第34回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。
1981年(昭56)、「小説現代」に発表した「鷺を呼ぶ少年」と、「問題小説」に発表した「木に登る犬」で、1982年(昭57)に第35回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。「木に登る犬」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1982年(昭57)に「小説現代」に発表した「海猫碑」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1983年(昭58)に「小説現代」に発表した「夢埋葬」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1984年(昭59)に「小説新潮」に発表した「間違い電話」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1985年版」に収録される。
1985年(昭60)に「小説推理」に発表した「透明な糸」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1986年版」に収録される。
1986年(昭61)に「EQ」に発表した「仰角の写真」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1987年版」に収録される。
1987年(昭62)に「小説新潮」に発表した「ころす・の・よ」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1988年版」に収録される。
1988年(昭63)に「別冊小説宝石」に発表した「蜜と毒」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1989年版」に収録される。
1989年(平1)に「オール讀物」に発表した「流れ藻」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1990年版」に収録される。
1990年(平2)に「別冊小説現代」に発表した「待合室で拾った殺人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1991年版」に収録される。
1991年(平3)に「小説宝石」に発表した「ゼロの男」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1992年版」に収録される。
1992年(平4)に「小説NON」に発表した「八年目の毒」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1993年版」に収録される。
1993年(平5)に「小説宝石」に発表した「疑いの車中」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1994年版」に収録される。
2006年(平18)、誤嚥性肺炎により死去。

幻影城掲載誌:31/日本長編推理小説ベスト99/


楠田匡介(くすだ・きょうすけ)

本名小松保爾。1903年(明36)、北海道厚田郡厚田村生まれ。ペンネームの由来は「新青年」に掲載された大下宇陀児らの連作小説「楠田匡介の悪党ぶり」から採っている。その後、江戸川小乱歩に改名しようとしたが、江戸川乱歩からクレームがつき、断念。
1931年(昭6)、「乳房を食べる」を「グロテスク」に発表。
1948年(昭23)、「雪」が「探偵新聞」の懸賞に一等入選。
同じ頃、国会の民主主義普及のストーリー懸賞に応募し、「棒」が二等入選。
1948年(昭23)、「探偵小説新人会」を高木彬光香山滋山田風太郎島田一男岩田賛らと結成。
また、阿部主計渡辺剣次中島河太郎らとともに、批評グループ「青酸カリグループ」を結成していた。江戸川乱歩、島田一男、香山滋、渡辺剣次、中島河太郎、千代有三、荻原光雄、岡田鯱彦鷲尾三郎とともに「十人会」を結成していたこともある。
1953年(昭28)に「探偵倶楽部」に発表した「探偵小説作家」が 1954年(昭29)に第7回探偵作家クラブ賞の候補となる。
1954年(昭29)に「探偵倶楽部」に発表した「追いつめる」が、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1956年(昭31)に「宝石」に発表した「逃げられる」は日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1957年版」に収録される。
1957年(昭32)に「宝石」に発表した「脱獄を了えて」が、1958年(昭33)に第11回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1958年版」に収録される。
1958年(昭33)に「宝石」に発表した「沼の中の家」が1959年(昭34)、第12回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。同時に日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1959年度版」に収録される。
1958年(昭33)、角田喜久雄を中心に、大河内常平、中島河太郎、千代有三、日影丈吉、山田風太郎、山村正夫らで親睦会「例の会」を結成。
トリックメーカーとして鳴らす本格派。司法保護司を長く勤めていた経歴(法務大臣から表彰を受けている)を生かし、脱獄トリックも名高い。簿記関係の著書もある。
1966年(昭41)、交通事故のため死去。

幻影城掲載誌:15/


葛山二郎(くずやま・じろう)

1902年(明35)、大阪府南河内郡生まれ。
1923年(大12)、「噂と真相」が「新趣味」第十二回懸賞探偵小説募集に一等入選。
1923年(大12)、「利己主義」が「新趣味」の第十三回懸賞探偵小説募集に二等入選。
1927年(昭2)、「股から覗く」が「新青年」の懸賞の第一席に入選。また、探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第三号(1927年版)」に収録される。
1929年(昭4)、江戸川乱歩が戦前短編のベストと押す「赤いペンキを買った女」を「新青年」に発表。
錯覚を利用した本格物のほか、怪奇小説、犯罪小説、医学的探偵小説、ユーモア探偵小説など、ヴァラエティに富む。
1994年(平6)、死去。

幻影城掲載誌:4/20/別冊幻影城未刊行リスト/


窪利男(くぼ・としお)

経歴不明。

幻影城掲載誌:23/


国枝史郎(くにえだ・しろう)

1887年(明20)、長野県諏訪郡宮川村生まれ。早稲田大学英文科中退。別名鎌倉参朗、市川未緒、宮川茅野雄、西井菊次郎。
1910年(明43)、戯曲「レモンの花の咲く丘へ」を発表。高い評価を得て、東京俳優座の「試演劇場」や川村花菱の「土曜劇場」、また、小川未明の「青鳥会」に参加。更に、「劇と詩」「早稲田文学」に詩や戯曲を発表。
やがて
1920年(大9)からパセドー氏病を病み、療養費を稼ぐために大衆小説を書きはじめる。
1922年(大11)、「鳶葛木曽棧」の連載開始。
探偵小説としては、1922年(大11)には、イー・ドニ・ムニエ作、国枝史郎訳で「新趣味」に「闘牛」を連載。しかし、イー・ドニ・ムニエは国枝史郎の別名で、創作である。
1922年(大11)、「新趣味」に宮川茅野雄名義で探偵小説を掲載。
1924年(大13)、「苦楽」に発表した「アラスカの恋」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1925年(大14)、二十一日会の同人になる。同人には中心となった白井喬司のほか、江戸川乱歩小酒井不木長谷川伸土師清二正木不如丘がいた。
1927年(昭2)に「新青年」に発表した「奥さんの家出」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第三号(1927年版)」に収録される。
1927年(昭2)、小酒井不木の交遊から、長谷川伸、土師清二、江戸川乱歩とともに、大衆文芸合作組合「耽綺社」を起こし、合作小説を試み、1928年(昭3)、「新青年」に「飛機睥睨」を掲載。
1943年(昭18)、喉頭癌のため死去。

幻影城掲載誌:28/別冊幻影城掲載誌:16/


邦光史郎(くにみつ・しろう)

本名田中美佐雄。1922年(大11)、東京生まれ。
戦前に保高徳蔵主宰の「文芸首都」懸賞に入選。戦時中は「新作家」同人となり、戦後は五味康祐とともに「文学地帯」を主宰し、十五日会に属する。「文学者」「京都文学」同人。関西のテレビ、ラジオに台本を執筆。
1962年(昭37)、産業推理小説と銘打たれた「欲望の媒体」でデビュー。
1962年(昭37)に刊行した「社外極秘」が、1962年(昭37)に第48回直木賞候補となる。
1963年(昭38)に「宝石」に発表した「夜の賎しさ」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)に「小説新潮」に発表した「螺旋階段」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に刊行した「海の挑戦」が、1966年(昭41)に第19回日本推理作家協会賞の候補となる。
1965年(昭40)に「オール読物」に発表した「トラブル・メーカー」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1972年(昭47)、「夜と昼の神話」を刊行。
1992年(平4)、京都市文化功労賞を受賞。
1996年(平8)、心筋梗塞のため死去。

幻影城掲載誌:46/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


久能啓二(くのう・けいじ)

本名三山進。1929年(昭4)、兵庫県神戸市生まれ。東京大学大学院卒。跡見学園女子大学、青山学院大学教授。別名久能恵二。「不在クラブ」会員。
1959年(昭34)、「宝石」「週刊朝日」共同募集に久能恵二名義で応募した「玩具の果てに」が二等入選。
1960年(昭35)、久能啓二名義で「黒い波紋」を発表。
2004年(平16)、死去。


苦楽(くらく)

1924年(大13)、大阪のプラトン社創刊。
大衆文学や純文学作家による娯楽読み物の提供を目的に刊行された。中間小説の先駆。直木三十五や川口松太郎が編集長を務めていた。
1928年(昭3)、廃刊。通巻53号。戦後、大佛次郎によって復刊。

幻影城掲載誌:26/


グリーン,アンナ・カサリン(Anna_Katharine_Green)

1846年(弘化3)、アメリカのニューヨーク州生まれ。父親は著名な刑事弁護士。「探偵小説の母」と称される。
1878年(明11)、「リーヴェンワース事件」を刊行し、100万部以上販売され、探偵小説史上初のベストセラーとなった。日本へは黒岩涙香が「真っ暗」のタイトルで1889年(明22)に「絵入自由新聞」で翻案紹介した。
詩人を目指し、1882年(明15)の「The_Defense_of_The_Bride_and_Other_Poems」を発表し、エマーソンに激賞される。
1884年(明17)、俳優のチャールズ・ロルフスと結婚。
1935年(昭10)、死去。


クリスティ,アガサ(Agayha_Christie)

本名アガサ・マローワン(元はアガサ・メアリ・クラリッサ・ミラー)1890年(明23)、イギリスのトーケイ生まれ。別名メアリー・ウェストマコット。アメリカ人の実業家である父とは11歳のときに死に別れ、母親に育てられる。声楽家を目指し、パリに留学するが、声量不足で挫折。その頃、「ポエトリ・レヴュー」に詩を投稿し、何度か採用されている。
失意から立ち直ろうと、母とともにカイロに避寒で訪れた際にはじめて長編小説「砂漠の雪」を書き、トーケイで隣人だったフイルポッツに指導を受けた。
1914年(大3)、アーチボルト・クリスティと結婚。第一次大戦に夫が出征したあと、ボランティア看護婦となるが、のちに薬局勤めとなり、、姉に勧められて余暇を利用して、探偵小説を執筆。
1916年(大5)に「スタイルズ荘の怪事件」を完成させ、1920年(大9)に刊行。
1924年(大13)、「新青年」に「ポワロの頭」シリーズとして、「メンタルテスト」「総理大臣の失踪」「海辺の出来事」「クラブのキング」「別荘の惨劇」「チョコレートの函」が河野峯子によって(延原謙の別名と推測される)によって訳される。
1926年(大15)、夫が愛人をつくったことが遠因となり、失踪事件を起こし、1926年(大15)に刊行した「アクロイド殺害事件」を宣伝する結果となる。
1927年(昭2)、アーチボルト・クリスティと離婚。
1927年(昭2)、長編のはじめての邦訳として「アクロイド殺害事件」の抄訳が松本泰によって「苦楽」に掲載される。
1930年(昭5)、考古学者マクス・ローワンと知り合い、結婚。
1931年(昭6)、「シタフォードの謎」を発表。
1934年(昭9)、「オリエント急行の殺人」を発表。
1935年(昭10)、「ABC殺人事件」を発表。
1937年(昭12)に刊行された「ナイルに死す」は、坂口安吾の「不連続殺人事件」にヒントを与えた。
1939年(昭14)、「そして誰もいなくなった」を刊行。
1941年(昭15)、「白昼の悪魔」を刊行。
1944年(昭19)、「ゼロ時間へ」を刊行。
1950年(昭25)、「予告殺人」を刊行。
1953年(昭28)、「葬儀を終えて」を刊行。
1955年(昭30)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞。
1962年(昭37)、「鏡は横にひび割れて」を刊行。
1963年(昭38)、「複数の時計」を刊行。
1970年(昭45)、「フランクフルトへの乗客」を刊行。
1971年(昭46)、デイムの称号を与えられる。
1975年(昭50)、「カーテン」を刊行。
1976年(昭51)、「スリーピング・マーダー」を刊行。
事件の背景や人間関係を丁寧に描き、プロットに密着したトリックを用い、小説としての完成度も高い。70年代末には全世界における著作の売上が50億冊にも達し、ミステリの女王と呼ばれる。戯曲「鼠とり」は上演連続記録をつくった。
1976年(昭51)、死去。

幻影城掲載誌:50/51/


栗本薫(くりもと・かおる)

本名今岡純代。1953年(昭28)、東京生まれ。早稲田大学文学部卒。デビュー当時は、「海を感じる時」で群像新人賞を受賞した中沢けい、「もう頬づえはつかない」の見延典子とともに講談社キャンディーズと称された。
1976年(昭51)、「パロディの起源と進化」を「別冊新評 筒井康隆の世界」に掲載。
1976年(昭51)、「都筑道夫の生活と推理」で、第二回幻影城新人賞評論部門佳作入選し、1976年(昭51)に掲載。
1977年(昭52)、中島梓名義で、「文学の輪郭」で第20回群像新人文学賞評論部門受賞。
1978年(昭53)、「ぼくらの時代」で第24回江戸川乱歩賞受賞。また、この作品は「週刊文春」の78年「傑作ミステリーベスト10」の1位に選ばれる。
1978年(昭53)に「SFマガジン」に発表した「ケンタウロスの子守唄」は日本文藝家協会の「現代小説'78」に収録される。
1979年(昭54)に「オール讀物」に発表した「羽の折れた天使」が、1980年(昭55)に第33回日本推理作家協会賞短編部門の候補となる。同時に日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1978年(昭53)から「幻影城」に発表し、「幻影城」休刊により中絶、大幅改稿後、1980年(昭55)に刊行した「絃の聖域」で、1981年(昭56)、第二回吉川英治文学新人賞受賞。また、この作品は第34回日本推理作家協会賞長編部門の候補作になった。同時に「週刊文春」の80年「傑作ミステリーベスト10」の4位に選ばれる。
1980年(昭55)に「オール読物」に発表した「時計台」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1981」に収録される。
1981年(昭56)に「小説現代」に発表した「青ひげ荘の殺人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1980(昭55)に「小説現代」に発表した「蝮の恋」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和56年度」に収録される。
1981年(昭56)に「小説現代」に発表した「イエロー・マジック・カーニバル」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1982」に収録される。
1981年(昭56)に「小説現代」に発表した「赤猫の女」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和57年度」に収録される。
1982年(昭57)に「小説現代」に発表した「殺された幽霊」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1983年版」に収録される。
1982年(昭57)に「小説新潮」に発表した「犬の眼」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1983」に収録される。
1984(昭59)に「小説新潮」に発表した「死神小町」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和60年度」に収録される。
1985年(昭60)に「小説現代」に発表した「伊集院大介の失敗」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1986年版」に収録される。
1992年(平4)に「ミステリマガジン」に発表した「クリスマス・イブ」は日本文藝家協会の「現代の小説 1993」に収録される。
探偵小説、SF、時代小説、脚本など、さまざまな方面で活躍している才女。

幻影城掲載誌:26/28/33/34/35/36/37/38/39/40/41/42/43/44/45/46/47/48/49/
50/51/54/別冊幻影城掲載誌:11/12/14/幻影城ノベルス/幻影城評論研究叢書/ブラックホール


黒岩重吾(くろいわ・じゅうご)

1924年(大13)、大阪生まれ。同志社大学卒。弟子は難波利三。
1949年(昭24)、「週刊朝日」募集の百万人の記録文学に「北満病棟記」が入賞。
同人誌「文学者」に加わり、株でも大儲けをする。しかし、大人の小児麻痺にかかり、四年間の入院生活をおくる。また、株の暴落のため、退院後はドヤ街に移り住み、トランプ占いで生計を立てる。
1958年(昭33)、第54回サンデー毎日大衆文芸に「ネオンと三角帽子」が入選。
1959年(昭34)、源氏鶏太の紹介で「近代説話」同人となり、司馬遼太郎と知り合う。
1960年(昭35)、「週刊朝日」「宝石」共催の懸賞に「青い火花」が三席佳作入選し、「宝石」に掲載された。
1960年(昭35)、中島河太郎の勧めで刊行した「休日の断崖」が、1960年(昭35)に第43回直木賞候補となる。
1960年(昭35)に「背徳のメス」を刊行し、1960年(昭35)、第44回直木賞受賞。
1960年(昭35)に「宝石」に発表した「青い枯葉」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)に「近代説話」に発表した「新説信太狐」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和36年度」に収録される。
1961年(昭36)に「別冊文藝春秋」に発表した「飛田ホテル」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)、「廃墟の唇」を刊行。
1962年(昭37)に「別冊文藝春秋」に発表した「鎖と歯」が「ヒッチコック・マガジン」の1962年ベストで7位に選ばれる。
1962年(昭37)に「小説中央公論」に発表した「ぜいたくなホテル」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)に「小説中央公論」に発表した「虹の十字架」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1963年(昭38)、日本推理作家協会関西支部長就任。
1964年(昭39)に「小説新潮」に発表した「さ迷える魂」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に「小説現代」に発表した「花と泥の間」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1966年(昭41)に「別冊宝石」に発表した「根のある幻花」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「小説新潮」に発表した「鼓笛隊」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1968年(昭43)に「小説新潮」に発表した「湿地帯」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1969年(昭44)に「小説新潮」に発表した「不倫の坂」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1970年版」に収録される。
1972年(昭47)に「小説現代」に発表した「鶴の鼓動」は日本文藝家協会の「現代の小説 1972年度後期代表作」に収録される。
1972年(昭47)に「オール読物」に発表した「凍った舞台」は日本文藝家協会の「現代の小説 1972年度前期代表作」に収録される。
1974年(昭49)に「小説現代」に発表した「小学生浪人」が第9回小説現代ゴールデン読者賞を受賞。
1975年(昭50)に「オール読物」に発表した「灰色の朝焼け」は日本文藝家協会の「現代の小説 1975年度前期代表作」に収録される。
1975年(昭50)に「小説新潮」に発表した「残月の宿」は日本文藝家協会の「現代の小説 1975年度後期代表作」に収録される。
1977年(昭52)に「オール読物」に発表した「アムスの二十五時」は日本文藝家協会の「現代小説'77」に収録される。
1978年(昭53)に「オール読物」に発表した「小説柴田錬三郎」は日本文藝家協会の「現代小説'78」に収録される。
1980年(昭55)、「天の川の太陽」で第14回吉川英治文学賞を受賞。
1980年(昭55)に「小説宝石」に発表した「飛田残月」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1981」に収録される。
1981年(昭56)に「小説新潮」に発表した「海の螢」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1982」に収録される。
1982年(昭57)に「オール読物」に発表した「陽と影の女」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1983」に収録される。
1983年(昭58)に「野性時代」に発表した「深夜の残照」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1984年版」に収録される。
1984年(昭59)に「小説新潮」に発表した「暗い坂道」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1985」に収録される。
1985年(昭60)に「小説新潮」に発表した「黒い閃光」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1986」に収録される。
1987年(昭62)に「オール読物」に発表した「黄泉の国は春の地に」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和63年度」に収録される。
1987年(昭62)に「小説新潮」に発表した「虹のやけど」は日本文藝家協会の「現代の小説 1988」に収録される。
1988年(昭63)に「毎日新聞」に発表した「野見宿禰」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成元年度」に収録される。
1989年(平1)に「小説新潮」に発表した「鼾」は日本文藝家協会の「現代の小説 1990」に収録される。
1990年(平2)に「オール讀物」に発表した「別離」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成3年度」に収録される。
1990年(平2)に「小説新潮」に発表した「青い芽と暗い花」は日本文藝家協会の「現代の小説 1991」に収録される。
1991年(平3)に「オール讀物」に発表した「左大臣の疑惑」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成4年度」に収録される。
1991年(平3)に「小説新潮」に発表した「或る戦死」は日本文藝家協会の「現代の小説 1992」に収録される。
1992年(平4)、歴史ロマンに対して第40回菊池寛賞受賞。
1992年(平4)に「小説NON」に発表した「影刀」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成5年度」に収録される。
1993年(平5)に「小説現代」に発表した「春の傷」は日本文藝家協会の「現代の小説 1994」に収録される。
1993年(平5)に「オール讀物」に発表した「無声刀」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成6年度」に収録される。
1994年(平6)に「小説新潮」に発表した「脳死の残映」は日本文藝家協会の「現代の小説 1995」に収録される。
1994年(平6)に「小説歴史街道」に発表した「埴輪刀」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成7年度」に収録される。
1995年(平7)に「オール讀物」に発表した「病花の舞」は日本文藝家協会の「現代の小説 1996」に収録される。
1995年(平7)に「オール讀物」に発表した「暗殺者」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成8年度」に収録される。
1996年(平8)に「オール読物」に発表した「雨毒」は日本文藝家協会の「現代の小説 1997」に収録される。
1996年(平8)に「オール讀物」に発表した「鬼笛」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成9年度」に収録される。
1997年(平9)に「オール讀物」に発表した「花毒」は日本文藝家協会の「現代の小説 1998」に収録される。
1997年(平9)に「小説新潮」に発表した「子麻呂道」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成10年度」に収録される。
1998年(平10)に「オール読物」に発表した「子麻呂の恋」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成11年度」に収録される。
1999年(平11)に「小説すばる」に発表した「ドライバー」は日本文藝家協会の「短篇ベストコレクション 現代の小説2000」に収録される。
2000年(平12)に「小説すばる」に発表した「幻灯花」は日本文藝家協会の「短篇ベストコレクション 現代の小説2001」に収録される。
2002年(平14)に「オール読物」に発表した「牧場の影と春−斑鳩宮始末記−」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成15年度」に収録される。
2002年(平14)に「小説現代」に発表した「闇が蠢いた日」は日本文藝家協会の「短篇ベストコレクション 現代の小説2002」に収録される。
2003年(平15)、肝不全のため死去。

幻影城掲載誌:29/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/

雑文:戦後最大の短篇小説家は誰か


黒岩涙香(くろいわ・るいこう)

本名黒岩周六。1962年(文久2)、土佐国安芸郡川北村生まれ。別名黒岩大。香骨居士など多数。
1882年(明15)、「東京興論新誌」で北海道開拓使長官だった黒田清隆を攻撃し、官吏侮辱罪で起訴。
1882年(明15)、「同盟改進新聞」を創刊。主筆となる。
1885年(明18)、「日本たいむす」主筆となる。
1886年(明19)、「絵入自由新聞」主筆となる。ノルマントン号事件で、公正な判決が得られなかった理由として、日本側通訳の誤りを指摘をして世に知られた。
1888年(明21)、「今日新聞」に英国ヒュー・コンウェイの「暗い日々」(1884年(明17))を「法庭の美人」の題で訳す。
1888年(明21)、ガボリオ、の「ルルージュ事件」を「人耶鬼耶」として「今日新聞」に訳す。
1889年(明22)、グリーンの「リーヴォンウォース事件」を「真っ暗」として「絵入自由新聞」に訳出。新聞上で犯人宛の投書を募った。
1889年(明22)、「都新聞」主筆となる。「絵入自由新聞」に連載16回まで訳していた「美人之獄」を丸亭素人に引き継ぐ。
1890年(明23)、ボアゴベの「囚人大佐」を「執念」として「都新聞」に訳す。
1892年(明25)、朝報社を興し、「万朝報」を発刊し、次々に翻訳を掲載。
1892年(明25)、ボアゴベの「サン・マール氏の二羽のつぐみ」を「正史実歴鉄仮面」として「万朝報」に訳出。
1892年(明25)、コリンズの「月長石」を「我不知」として「都新聞」「万朝報」に訳出。
大好評を博し、丸亭素人、南陽外史、菊亭笑庸などの追随者を排出した。当時の文壇は硯友社の全盛期で、探偵小説に読者をとられた硯友社は春陽堂から匿名で探偵小説シリーズを刊行した。 1893年(明26)に刊行された泉鏡花の「活人形」はそのひとつ。
創作としては、1889年(明22)に小説館の「小説叢」に「無惨」を発表。「情供証拠誤判録」翻訳の第一判例を参考にしたものだった。これは1873年(明6)、アメリカで発行された“Famous Cases of Circumstantial Evidences”が高橋健三によって1881年(明14)に翻訳されたものである。
1891年(明24)、結社理想団を結成。
1893年(明26)に「万朝報」に連載した「白髪鬼」(原作はマリー・コレリのヴェンデッタ)の翻案を江戸川乱歩が、1931年(昭6)に「富士」に再翻案し掲載。
1899年(明32)に「万朝報」に連載した「幽霊塔」(原作はA・M・ウィリアムスンの灰色の女)を江戸川乱歩が、1937年(昭12)に「講談倶楽部」で翻案。
1918年(大7)に渡欧し、翌年帰国。
卓越した翻訳家、小説家であるに留まらない偉大なジャーナリストであり、哲学者、史学者、国士。「蝮の周六」の綽名を持つ。
1920年(大9)、肺腫瘍のため死去。

幻影城掲載誌:49/50/別冊幻影城掲載誌:10/幻影城評論研究叢書/


黒田米平(くろだ・よねへい)

生年経歴一切不明。
1934年(昭9)、第14回サンデー毎日大衆文芸募集に「氏原正直殺害事件」が佳作入選。
1935年(昭10)にも第16回サンデー毎日大衆文芸募集に「伏越吉治殺害事件」が佳作入選。

幻影城掲載誌:37/


黒猫(くろねこ)

黒猫創刊号表紙1947年(昭22)4月創刊。イヴニング・スタア社発行。小型雑誌。1948年(昭23)9月、11冊で廃刊し、版型を大きくして「読物春秋」と改題したが、1号で廃刊。
イヴニング・スタア社には探偵作家クラブの最初期に事務所がおかれた。



クロフツ,フリーマン・ウィルス(Freeman_Wills_Crofts)

1879年(明12)、アイルランドのダブリン生まれ。
鉄道会社の技師だったが、1919年(大8)、病気療養中の時間潰しに書かれた「樽」が1920年(大9)、刊行される。
1924年(大13)、「フレンチ警部最大の事件」を発表。
1925年(大14)、 翻訳家の巨勢洵一郎が「新青年」に「樽」と「ポンスン事件」の読後感を掲載。
1927年(昭2)、「スターベルの悲劇」を発表。
1930年(昭5)、「マギル卿最後の旅」を発表。
1932年(昭7)、森下雨村によって、「探偵小説」に「樽」が訳され、1935年(昭10)に刊行。
1934年(昭9)、「クロイドン発12時30分」を刊行。
1936年(昭11)の「ポンスン事件」の邦訳など、井上良夫はクロフツを継続的に紹介する。
1939年(昭14)、英国芸術学士院の会員に選定。
1951年(昭26)、「フレンチ油田を掘りあてる」を発表。
足を使って犯人のアリバイを崩す努力型探偵が登場する作品が大半を占めるリアリズム探偵作家。黄金期を支える巨匠のひとり。蒼井雄鮎川哲也松本清張に影響を与えた。
1957年(昭32)、死去。

別冊幻影城掲載誌:9/


黒山猛(くろやま・たけし)

1943年(昭18)、大連市生まれ。大阪大学文学部卒。
1978年(昭53)、「幻影城」第四回新人賞評論部門に「夢の通い路−探偵小説の「剰余」について」が佳作入選。

幻影城掲載誌:49/51/


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